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光丘文庫の棟札

田村寛三氏の著書『続々酒田ききあるき』の巻末に「酒田大工の系統」が掲載されている。この系統図によると日和山の六角灯台、相馬屋、港座などの仕事をした弁天小路生まれの佐藤泰太郎の二代目、佐藤喜一(天正寺町生まれ)が光丘神社、光丘文庫を手掛け、その系列として林市五郎の名前が載っている。光丘神社は本間光丘(本間家三代当主)に正五位が贈られたことを契機として大正十四年(一九二五)十月、光丘文庫とほぼ同じ時期に創建されている。
光丘文庫内に現存する棟札によって林市五郎が光丘文庫の建設に関わっていたことが明らかとなったが、田村氏のこの図によれば市五郎は光丘神社の創建にも関係していたことが分かる。
本間家の依頼を受け、光丘神社では下日吉神社の宮司と氏子たちによって年三回の祭礼(四月十四日・祈念祭/五月二十一日・例大祭/十月二十一日・新嘗祭)が毎年行われている。
下日枝神社の北東に光丘神社はひっそりと佇んで、いまは訪れる人の姿もないが、参道、神門、拝殿、本殿と続き、神社の風格、格式として目を瞠るものを感じる。

光丘文庫

  • 旧光丘文庫は、本間家三代当主、本間光丘に正五位が贈られたことを契機に、
    本間家の蔵書(光丘以来)の収蔵施設として、大正十四年(一九二五)に竣工した。
    銅板ぶき鉄筋コンクリートブロック社殿造りの近代和風建築で、
    本館は二階建て、書庫は三階建てとなっている。社殿造りの外観ではあるが、
    森山式と呼ばれる鉄筋コンクリート構造を採用した洋式の内装である。

    棟札 棟札

  • 設計は内務省神社局の技師であった角南隆、施工は東京の業者、森山善平。
    文庫内に保存されている棟礼には「左官兼土工 林市五郎」とある。
    大正八年(一九一九)八月に創業したばかりの林組(林建設工業の前身)は
    森山善平の指揮の下、地元業者として施工を行っている。
    平成八年(一九九六)、光丘文庫は酒田市の指定有形文化財となった。

    棟札